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第五話「白い悪魔的な何か」


 真っ暗な空洞が、虚ろな眼球のように俺を見る。
 銃口が、しっかりとした円であることを俺は確認した。
 手を上げるべきだったのだろう。しかし、少しでも動けば目の前の女は引き金を引く。そんな予感もする。
 結局、身体はピクリとも動かなかった。
 銃口から目を背けるのにも、俺は結構な時間を要する。
 女を見た。
 脱色したのだろうか。腰まで届きそうな髪は純白に輝いていて、服は血色に染まっている。
 俺は銃口の黒と、長髪の白を交互に見た。
 身体は硬直していたが、脳内はアドレナリンの大盤振る舞い、大宴会だ。
 ぐるぐるぐるぐる思考は廻る。
――ヤクザか?
 たぶんYES。
――ピンチか?
 どう見てもYES。
――死ぬのか?
 出来ればNOと答えたい。
――可愛いか?
 どちらかと言えばYES。でも俺は綺麗系だと――
――やっぱり死ぬのか?
 YENO。
「小池さんのお宅であってるかな」
――お前は小池さんか?
 NO――――。
 NOだ。俺はラーメン大好き小池さんじゃない。

 人違い。

 これほど嬉しい人違いが他にあるだろうか。
 小池さんは隣の家に住む気の良いあんちゃんだ。いや、気の良いというのはいささか語弊があるけど、とにかくラーメンが好きだ。いや、俺じゃなくて小池さんが。
 とにかく、
「……ち、違います」
 俺は言った。
 ちょっと噛んだが、とにかくこれで俺は開放されたのだ。
 初対面の人間に硬くて黒くてゴツゴツしてるモノを突きつける、イカレた女から開放される。
 ハッピーだ。
 イカレ女は銃口を俺に向けたまま、器用に小首を傾げた。
「あれ? じゃあ小池さんの部屋は隣だっけ」
「そう。そうです」
 俺はこくこくと何度も頷く。
「そっかぁー……」
 女は笑う。
 悪魔が笑うとしたらこんな笑みだと本気で思う、悪意の篭った笑みだった。

「じゃあここであってるわ」

 ハメられた。
 誘導尋問だ。
 いや、そもそも女は答えを知っていたのだ。
 知っていて、微かな希望にすがる俺をからかっていたのだ。
――クソッ垂れ!
 汗が垂れる、俺はいつも汗ばかりかいている。
「やっぱり俺が小池です」
 駄目元で言う。
「…………」
 春だというのに冷めた風が俺を撫でた。
 イカレ女の長い髪が揺れ、朝のボロアパートは不思議な沈黙に包まれる。
 なんとも形容しがたい表情で、女は言う。
「今更、そんなこと言われてもなぁ……」
「ですよねー」
 女の注意が若干ぶれたのを感じる。
 俺は素早く腰を屈め拳銃の射線から抜け出し、銃を握る女の右腕を払う――と言うような想像をしながら、右腕をピクリとだけ動かした。
 女は瞬時にそれを察知して、引き金にかける力を強くしたようだった。
 よし、無理だ。諦めよう。
 俺はほとんど腹をくくって、次の女の言葉を待った。そして、
――PiPiPiPi
 図ったようなタイミングで携帯の着信音が響いた。
 心臓に悪い。
 心臓には悪いが、これは好機かも知れない。
 着信音が長く続けば他の住民が起きてくるかもしれないし、電話を取れれば助けを呼べる可能性も出てくる。
 俺は後ろを振り返らないまま、枕元にある携帯の位置を思い出す。
「出ても……?」
「どうぞ」
 YES!
 女は相変わらずニヤつきながら、銃を下ろし俺を押すようにして室内に入ってくる。
 チャンスだったのかも知れないが、俺に女を押し倒す勇気は無く、それが拳銃を持ったガイジンっぽいのなら尚更だ。
――ガチャリ。
 内側から鍵を掛けられる。
 鼓動がまた早くなる。
 着信音は止まらない。
 助かった。
 まだ切れるな。
 携帯を手に取る瞬間、この非常時だというのにのん気に二度寝している五十嵐の寝顔が目に入った。
――何をやっているんだ俺は。
 拳銃を持った女をノコノコ部屋に入れた。二人一緒に、今ここで撃たれてもおかしくない。
 馬鹿か。
――いや。
 撃つ気なら、とっくに撃っている。
 少なくとも、こんなところで銃を撃てば騒ぎになる。女はまだ撃つ気じゃないのだ。なら、俺は銃を突きつけられた瞬間に、イカレ女に体当たりでもするべきだったのか。
 死ぬなら、二人より一人のほうがマシだ。
 今から、女に体当たりでもかまして――
「どうしたの? 早く出なよ」
 からかうような、女の声に我に返る。
 俺は中腰で鳴り続ける携帯を握ったまま、固まっていた。
 幸いにも、着信音は鳴り続いている。
――おちけつ。
 おつけち?
 何でもいい。
 携帯を開くと、知らない番号だった。
「……もしもし」
「俺だ」
 どこかで聞いたことのあるような、ドスの聞いた男の声。
 五十嵐の弟。
「……良君?」
「君付けはやめろ、リョウでいい。で、なんであんたそんなに声がちいせェんだ?」
 話しながら五十嵐が起きないことを祈り、イカレ女が銃から鉛玉を吐き出さないことを祈る。
 そうすると電話にまでは気を配れない。
 俺はかなりいっぱいいっぱいだった。
「いがら……ええと、ユキが寝てるから」
 五十嵐と言いかけて、電話の相手も五十嵐だということに気が付く。
「…………」
 電話越しに、弟君の不服そうなため息が聞こえた。
 そう言えば、こいつには俺と五十嵐が付き合っていることになっているんだったか。
 名前で呼ばずに、苗字のほうが良かっただろうか。
「まあ良い。こんな朝早くから電話したのは他でもねぇ、例の件だ」
「れ、例の件って言うと?」
 女を見る。
 イカレ女はいつの間にか銃をしまい、座布団に座ってくつろいでいる。
――殴りてぇ。
 取りあえず会話の内容は知られていないようだ。
「……姉さんが狙われる可能性があるって話だが、どうやら片桐の野郎、本気で姉さんをさらう気みたいでな。ウチの若いのが、こそこそ動き回ってる片桐の部下に吐かせたんだが、外から人攫い《ひとさらい》の専門家みてぇなのを雇ったらしい」
 片桐……例の、五十嵐組の幹部で、弟君の組長就任を渋ってる奴か。
 で、人攫いの専門家を雇ったと。
 俺は隣で座っている、人様のパンツを汚いもののように摘んでいる白髪の女を見た。
――こいつじゃねぇの!?
「おい、聞いてるか?」
「え、ああ」
「それで、ウチからも一人、手練《てだれ》の護衛を付けることにした」
 手練。護衛。
「そっ!」
 思わず声が大きくなる。
 女と目が合う。
 しかし、女は電話の内容を気にした様子も無くあくびをした。
 歯がめちゃくちゃ白い。
「それは、いつ頃?」
「もうそろそろ、あんたの家に着くだろう。護衛は今日から頼んである。正確にはウチの純組員じゃねェが、ハジキの使い方はべらんめェだし、俺も少なからず世話になった人だ」
 もうすぐ着く。
 助かった。たぶん助かった。
 しかし、次に俺が聞いたセリフは、俺を落胆させるに十分だった。
「髪の白い、トッポい外人のねーちゃんだから、すぐに分かるだろうよ」
 髪の白い、ねーちゃん。
 俺は目を見開いて、隣でごそごそ部屋を物色してる“白髪のねーちゃん”を見た。
 女が気付き、俺にブイサインを送ってくる。
「どーも、トッポい外人のねーちゃんです」
 電話は丸聞こえだったらしい。
 俺は叫んだ。

「うがぁ!!」

 獣のように。
 その声で五十嵐がようやく起きて、間抜けな声を上げる。
「……おはよう、朝ごはんまだ?」
 怒りで大猿に変身するかと思った。
 畜生、死ね。
 腹を角で突かれて海に落とされた挙句、爆死しろ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇自己紹介◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「始めまして、鉄子です。てっちゃんって呼んでも良いよ」
 イカレ女改め鉄子は、座布団の上にあぐらをかいてにこやかにそう言った。
 俺は収まらない怒りを、なんとか腹の中にしまい込む。
 どう聞いても偽名だろうが、流暢な日本語を考えるとハーフか日系なのかもしれなかった。
 俺は改めて、凄腕の護衛だと言う細身の女を観察する。
 赤いミニのワンピースの上に、機能性だけで選んだような同系色で暗いジャケットのようなものを羽織っている。荷物は旅行鞄一つだけだった。
 ワンピースから覗く白い足が眩しかったが、その奥にあるであろう布はちゃぶ台に隠れて見えなかった。
 改めて観察すると、かなりのナイスバディだ。
「誰……?」
 五十嵐はいつもの半分しか開いていない目で俺を睨んだ。朝に弱いんだろう。
 俺は答える気もしなかったので、黙って五十嵐から鉄子に視線を移した。
「君のお兄さんが雇ったボディガード」
 鉄子はぶっきら棒に言いながら、手を後ろで突いて片膝を立てる。
 パンツがさらに見えそうになり、ふとももが眩しい。
――すっかりくつろいでやがる。
「何見てるの」
 五十嵐がさっきよりもさらに険しい三白眼で俺を睨んだ。
「何も見てねぇ」
「千円でいいぜ」
 鉄子が笑いながらただでさえ短いスカートをほんの少したくし上げて見せる。
「いや、だから見ないって」
 思わず視線が下に移動しそうになるが、五十嵐から鋭い殺気のようなものを感じて止める。
「なんでぇ、つまんない奴だな」
 鉄子は言葉とは裏腹に、ニヤニヤと面白がっているような顔で俺を見た。
 足を動かした際に、パンツがほんの少しだけ視界の端に映る。
 意外にも白だった。
「ニッキー!」
「千円」
 俺は頬を殴られ、サイフから夏目を一枚抜き取られた。

 まるで俺の家がキャッチバーになったかのような居心地だ。
 最高だ全く。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇トウコウ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 外に出ると春らしからぬ寒風が俺を歓迎し、後ろからついてくる五十嵐の視線が首筋をチクチクと刺激してくる。
 バナナと牛乳の朝飯が気に入らなかったのだろうか。
 空はどんより曇り空で、五十嵐の鼻歌のようなものが念仏のように聞こえてきた。
 ぱるぱるだとかみんな死ねばいいのにだとか、ハッキリとは聞きたくないよな単語がぽつぽつ出てくる謎の歌だ。
――本当に呪文とかじゃないよな……。
 ちらりと後ろを振り返り五十嵐を伺うと、曇り空に負けない不機嫌な目をしていらっしゃる。
「なんだか暗いなぁ」
 俺の後ろの五十嵐のさらに後方で、頭の後ろで手を組んだ鉄子がのん気な声を上げた。
 護衛のはずなのに、俺たちよりも数段目立っているのはいいのか。
 真っ赤なワンピに旅行鞄に、銀髪ときたもんだ。しかし、鉄子が目立てばその分俺たちは目立たなくなるだろうか。
 いや、学生の二人組みに外人の組み合わせは目立つよなぁ……。
「ユッキーは何歌ってるのよ」
「知りません。クラスメイトが歌ってたから」
「ふーん。日本の歌って変なの多いよな」
 緊張感が微塵も感じられない。
 大丈夫なのかこの護衛。
「心配しなくても、白昼堂々と道端で襲われたりはしないって」
 俺の心を見透かしたように、鉄子は笑いながら言う。
 本当に大丈夫なんだろうな。
「よし、お仕事終了。あたしはそこら辺で適当にぶらついてるから」
 気が付くと校門前で、そして鉄子はひらひらと手を振っている。
「…………」
 俺は立ち止まり、鉄子に何を言うべきか考えたが、結局何を言うべきか分からず。
 五十嵐は俺を置いてすたすたと一人で下駄箱まで行ってしまった。
――大丈夫なのか。
 色々と気がかりはあるが、一番心配なのは俺の胃のことだった。
 アレも一緒に住む気だったら俺は死ぬ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇物数古歴◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 テレッテッテー。
 四時間目の終了を知らせる鐘が鳴り響き、俺は目覚めた。
――ガタンッ!
 教師の退室と同時に、ガッツポーズをしたアホが立ち上がる。
「……諸君、あえて言おう! 昼飯だと!」
「いただきまーす」「うぃーっす」「澤井ー、知ってる知ってる」
 まだ弁当も準備していないのに、クラスの四分の一ほどがアホに思い思いの返事をした。
 そろそろ皆も、このノリにも慣れてきたのだろう。
 何事も無かったかのようにメシの準備に取り掛かる生徒が大半だった。
「売店いってくらぁ」
 安藤もそう言いながら立ち上がり、
「待て安藤」
 眼鏡を通常の三倍で光らせた田中に引き止められた。
 そして、その手には可愛らしい花柄の弁当包みがぶら下がっている。
 なんとなく血の気の引いた顔で弁当を指差す安藤。
「……それ、俺のために作ってきたの?」
「そうだ。元々、妹と弟にも作っているからな。遠慮するな」
「うわぁ……ありがとう……」
「ああ」
 とてもありがたそうに田中から弁当を受け取る安藤。
 その二人の間から、何故か五十嵐がにこやかな笑みで現れた。
 一瞬誰だか分からないくらいの猫被りっぷりだな。
「田中君って料理上手なんだね」
 声色までハイトーンだし、怖いぞ五十嵐。
「まあ趣味みたいなものだな」
「へえ、凄いなぁ」
 ぶりっ子五十嵐の称号をやるよ。
「ゆっきーもこっちで食べようよー」
 澤井が空席になった前の人の椅子を叩く。
 その時、廊下側の生徒が悲鳴のようなものを上げた。
 いや、それはまさしく悲鳴だ。
 バスケの上手な武藤君らしき影が、ドアの前を飛び去るのが見えた。
 飛んでいた。
 彼が魔法使いでないのなら、誰かに吹き飛ばされたというのが正解に近いように思えるが、実際のところはどうなのか分からない。
 少なくとも前を向いて飛んだほうがいいとは思う。
「うわ! でけぇ!」
 クラスメイトAがそう叫び、教室の前の扉から二メートルはありそうな巨人がドアを潜って現れた。教室はほとんどパニック状態で、蜘蛛の子を散らすように人が居なくなっていく。
 その段になってようやく、俺は事態を飲み込み始めた。
――昼飯ってレベルじゃねーぞ!
 フルフェイスのヘルメットを被りスカジャンを羽織った大男は、どうみても銀行強盗にしか見えなかったが、その手に拳銃は無く、代わりにプロレスラーのような体格を持っていた。
 拳銃を持った強盗か、ムキムキマッチョの暴漢。どちらが危険なのかは皆目検討が付かなかったが、少なくともどちらも歓迎されるべきではないことは確かだった。
「五十嵐ってのはどいつだ?」
 大男は教室に居る生徒の顔を一人一人確認するようにしながら、そう言い放った。
――白昼堂々と現れたじゃねーか!
 しかし、五十嵐の顔も分からずにやってくる人攫いというのは傑作だぜ。
「に、逃げたほうが良いよな?」
 俺はアホ二号のセリフに首を振り、全面的肯定の意を表した。
 五十嵐は顔面蒼白になって立ちすくみ、アホはおにぎりをほお張りながら大男を見つめ、田中は携帯を耳に当てていた。
「――はい。はい、そうです。お願いします」
「何のん気に電話してるんだ!?」
 安藤が弁当箱を持ったまま、慌てて田中につかみ掛かる。
「通報しました」
「何!?」
「110番通報をした」
「マジか! GJ!」
 安藤は田中に向かって親指を立て、俺はアホどもを置いて大男とは反対のドアに走った。
――付き合ってられるか。
 五十嵐と一瞬目が合う。
 助けを求めるような色をしていた。
――何で俺なんだよ。
 俺は逃げる。
 逃げるぞ。
 教室の後ろのドアに辿り着く。
 大男は俺を見ていた。
――クソッ垂れ。何で俺なんだ。
 俺は中指を立てて叫んだ。

「俺が五十嵐だ! デク野郎!」

 暴漢を含めた教室中の視線が俺に集まり、奇妙な静寂が訪れる。
 一つ注意をすると、俺の名前は五十嵐では無い。
 念のため。
 しかし、暴漢はだけはそれに気が付かなかったようだ。
 ゆっくりと俺に向かって歩いてくる。
――アホが一人釣れたようだ。
 唖然とする五十嵐を置き去りに、俺は教室の後ろから廊下に飛び出た。大男も追うようにして駆け足になる。
 後ろを振り返る。
 速い。
 めっちゃ足が速い。
――アリかよ!
 走る。
 本当に走ってるのか分からなくなるほど、大男はあっという間に俺の後ろに来る。
 廊下は驚くほど人気が無かった。
 全員教室に避難したんだろうか、俺も本当はそうしたかったよ。
「学ランを来た、女だと聞いたが……確かに、可愛い顔をしている気もするな」
 肩を万力のような力で掴まれる。
「逃げるな。面倒だ」
――手がデケェ、これなら俺の頭くらい簡単に潰せそうだ。
 ヘルメットの向こうに、ガラス玉のような目が見える。
 これが人殺しの目ですね、分かります。
「……普通逃げるだろ?」
「そういうものかもな。ちょっと痛いけど、恨むなよ」
 肩が潰れたかと思うような鈍い痛みの後、視界がぶれる。
 一瞬後、背中に鈍い痛みを感じた。
 何が起きたのかさっぱり理解出来ない。
 気が付くと、数メートル先に大男が逆さまに立っていた。
 投げ飛ばされたのだと気付いたのはそれからだ。
 俺は廊下の角で背中をしこたま打って、仰向けに伸びているというわけだ。
「クソッ垂れ……」
 駄目だ。
 動けねぇ。
 と言うかアイツ早すぎ、強すぎ。チートかよ。
「よう、ニッキー」
 白が居た。
 廊下の角、大男から姿を隠すようにして、鉄子が立っていた。
 俺に向かって笑いながらピースサインをしてくる。
「えへ♪ 来ちゃった☆」
――うぜぇ。
「護衛の癖におせーよ……」
「めんごめんご、昼飯くらいゆっくり食べさせて欲しいわ」
「俺も食ってねぇ」
 大男は俺が動けないのを確認すると、ゆっくりと近づいて来る。
「あっそ。で、なんでニッキーが追われてるわけ」
「知らなかったのかよ。俺の名前、五十嵐って言うんだぜ」
「へぇ、やっぱりお前面白いなぁ。で、相手は素手なわけ?」
「……多分」
「じゃあ楽勝じゃん。男の癖にかっこわるぅ」
 指を突きつけてニヤニヤと笑う鉄子。
 やっぱりうぜぇ。
 俺だって途中まではカッコ良かっただろ絶対。
 せめて、パンツだけでも拝んでおくことにする。
「千円用意しとけよ」



 不敵な笑みを浮かべた後、鉄子は真剣な顔でその場にしゃがみ込む。そしてあろうことかスカートを捲り始める。おいおい、サービス過剰じゃないのか。
 白いショーツが、今度こそはっきりと俺の目の前に現れる。
――このアングルは、中々。
 生唾を飲み込む俺を無視して、鉄子は太ももにベルトのような器具で固定してあった投げナイフを一本抜き出した。
「上手く命中しましたら、拍手のほどをお願いします」
 大男と鉄子の距離は、もう五メートルも無い。
 俺でも当てられそうな距離だが、そんな細いナイフであの巨人が倒せるのか。
 鉄子は角に身を潜めたまま、大男を見もせずに右手を一振り。
「おお」
 俺はおざなりな拍手をする。
 男の胸のど真ん中に、ナイフが一本現れたように見える。早業だ。
 鉄子はどうよって顔でデカイ胸を張って見せるが、
「あれ?」
 大男は胸に刺さったナイフを無造作に引き抜いて、ゆっくりと俺に歩いてきていた。
「おいおいてっちゃん。アレだよ、効いてないよ……?」
「マジ? あたし今カッコ悪い?」
「どうでもいいけど! 来てるって!」
 叫び、男の両腕と両足にナイフが現れたのを見た。
 それは深々と突き刺さって、大男の身体が電気ショックでも受けたかのように震えた。
 いつ投げたのか分からないどころか、いつナイフを手にしたのかすら分からない。
 呻くようにして膝をつく大男。
「終わった?」
 呆気にとられて拍手を忘れた俺に、鉄子はパンツ丸見えの格好のまま聞く。
 やっぱり見ないで投げてたのかよ、すげぇよ。アホだ。
「終わった……かな……?」
 大男はぐったりと動かなくなっている。毒でも塗ってあったのかだろうか……。
 遠くからサイレンの音が聞こえてくる。ようやく警察が来たようだ。
 俺は鉄子を見た。
「あん? なんだよ、そんな真剣な目しちゃって。惚れちゃった?」
「いや、違う……あれ、まだ生きてるよな……」
 大男は倒れたが、まだ生きている。
――まだ俺と五十嵐を狙ってくる可能性がある。
 俺を見る鉄子の目がナイフのように細くなる。
「……怖いねぇ。いやに冷静じゃねぇかニッキー。トドメを刺せって言いたいんだろ? だがな、お前勘違いしてるぜ、あいつには頭なんか無いし、心臓だって飾りみたいなもんだ」
 鉄子の笑みが深くなる。
 それは俺が初めてこいつに会ったときの、あの時の笑顔だ。
 銃口のように深くて暗い瞳が俺を見つめる。
「あれは手足でもねぇ、手足にくっついた棒切れみたいなもんだ。殺すだけ無駄なんだよ」
 言いながらスカートを元に戻し、立ち上がる鉄子。
 いつの間にか、さきほどまでの冷たい目は消えて、ニヤニヤとした笑みに戻っている。
「警察も来たし、撤収するわ」
――滅茶苦茶カッコ悪いな俺。
 俺は、あの大男のことを殺してくれと鉄子に頼んだようなものだ。
 自分じゃ何も出来ない癖に。
 鉄子が思い出したように、俺に近づいてくる。
 起こしてくれるのかと期待したが、サイフから千円を抜き取られただけだった。
――ひでぇぼったくりだ、乳くらい揉ませろ。
 立ち上がろうとするが、腰が抜けて動けない。
 鉄子はひらひらと手を振りながら、現れたときを同じ唐突さで俺の視界から消えた。
 自分が情けなすぎて、疲れがどっと押し寄せてくる。
――腹減った。
 そう言えばメシを食ってない。
 俺は倒れた格好のまま目を閉じた。
 白色が嫌いになりそうだ。
「ニッキー!」
 どこからか声が聞こえた気がしたが、眠りの誘惑には勝てなかった。

 
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