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第六話「あんなに一緒だったのに」


「ずっと、あなたのことが好きでした。付き合ってください」
 昼休みの教室。クラスメイト全員が見守る中で、五十嵐優希はそう言った。
「ひゅーひゅー」
 どこかで見覚えのある、やたら体格のいい大男が、昭和の匂いのする野次を飛ばす。
 俺はそれに構わずに、五十嵐の肩を抱き、言った。

「お前男じゃん」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇また夢オチか◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「おはよう」
 薄っすらと生えた無精ひげが、俺の目に飛び込んでくる。
 ここ最近で、一番酷い目覚めだった。
 それは、スーツを着たおっさんの顎だ。
「どっか痛む所はねぇか?」
 俺は首を横に振った。若干首が痛かったが、そんなことはどうでもいい。
 酷い夢を見ていた。
 そんな気がするだけで、どんな内容だったかは忘れたが。
 身体を起こしてようやく、自分の身体を覆っていた清潔そうな布団に気付く。
 俺はどうやら保健室で寝ているようだった。
「……あんたは」
「警察のモンだ」
 目の前に突き出される警察手帳。
 意図して眼前に突き出したのだろう。
 俺の目には、岸本の二文字しか目に入らなかった。
「岸本さん?」
「ああ」
 寝ぼけた頭で考える。
「俺は無実です……」
「ああ? 別にお前を逮捕しに来たわけじゃねぇよ」
 じゃあ何をしに。
 そう聞こうとして、ふと思い浮かぶ大男の姿。
 俺の表情の変化を敏感に汲み取ったのだろう、岸本は顔を笑みの形に歪めた。
 嫌な顔だ。
「お前、何で五十嵐優希を庇った?」
「何でって……」
 警察は知っているのだろう。
 五十嵐がヤクザの娘(?)であること、そして五十嵐の父親が殺されたことを知っている。
 もしかしたら、あいつが男だっていうことも知っているんじゃ無いだろうか。
 そして、岸本は暗にこう言っているのだ。
「何で、ヤクザの娘を助けた?」
 俺は岸本を睨む。
 しかし、そいつの質問に対する答えは出て来なかった。
――何で俺はあんなことをした?
 あいつとは、そもそもたった数日の付き合いでしかない。
 なんやかんやで、ヤクザの抗争に巻き込まれた。それだけの関係だ。
 あいつを助ける義理など、俺には無い。
「あいつは――」
 男だ。
 そうだ、あいつは男だ。女だと思ったのに、騙された。

――だから何だ。

「あいつは――――友達だ」
 岸本の目を見て言う。それは質問の答えにしては的外れだったが、岸本はそれで何もかも納得したような顔をした。
「青春だねぇ」
 おっさん臭いことを言いながら、重そうな腰を上げる岸本。
 そこには人の良さそうな笑みが浮かんでいた。
 その背中に声を掛ける。
 青い春と書いて、青春。
「青色って、そんなに良い色ですか」
 岸本はドアの前で立ち止まり、可笑しそうに声を上げた。
「確かに、そんなに良いモンでもないかもな」
 お大事に。
 そう言い残して、岸本は部屋を出て行った。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇釈放◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 保健室を出る際、やたらと艶のある声で「頭を打ってるようならちゃんと病院行きなさい」と言われたが、俺は生返事を一つ返して廊下に出る。
 正直、俺は物語の主人公には相応しくないのだろう。
 無力で、守られてばかりだ。
 そんなことを考える。
「ニッキー」
 声に振り返ると、人気の無い廊下にぽつんと、澤井が立っていた。
 俺を待っていてくれたのだろう。
「大丈夫? 首痛いの?」
 近づく距離。
 澤井の手が、そっと俺の首筋に回される。
 心配そうな顔をする澤井が、妙に可愛らしく思える。
 五十嵐とはまた違う、柔らかな匂いがした。
――何を考えているんだ俺は。
 慌てて、澤井の腕を振り解く。
「ちょっと打っただけだし、そんなに心配いらねぇよ」
 何となく目を合わせ辛くて、俺は辺りを見回した。
 外は雨のようだった。
「ゆっきーなら、外で待ってるよ」
「ん……そうか?」
 別に五十嵐が外で待ってなかったから探してるとか、そういうんじゃ無いんだからね。
 勘違いしないでよね。
「…………」
 俺は疲れているんだろう。
 静まり返った学校は、どこか寒々しい。
 時折窓を打ち付ける雨の音だけが、時間が流れていることを教えてくれた。
「……帰るか」
「うん」
 しかし、澤井はその場から動こうとしない。
「行こうぜ?」
「う、うん。でもなんか、ゆっきー、ニッキーに話があるみたいだったし……」
 何故か両手を身体の前で振りながら言う澤井。
「そ、そうか?」
 俺はふと、昨日の放課後のことを思い出す。
 こいつはまさか、俺と五十嵐が付き合ってるとか思ってるんじゃ無いだろうな。
 いや、告白されたのは半分事実だが、どう説明すればいいのか。
 そもそもあいつは男だし、しかし、それを言ってしまうのは憚られる。
 俺は自分の首を撫でながら言った。
「アレだぜ……その、五十嵐とは付き合ってるとか、そういうんじゃないぞ」
「うん」
 あっさり頷く澤井。
――何コレ、俺は自意識過剰な中学生かよ。ハズイわ畜生。
 何も言えず、俺も頷く。
「……うん」
「うん。だってニッキーじゃゆっきーとは釣り合わないもんね」
 澤井は俺にトドメを刺す。
――女装した男とすら釣り合わない俺って……。
「ちくしょう!」
 俺は走った。
 全速力で。
 何から逃げているのかは分かっていたが、考えないことにする。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇下駄は入っていないが下駄箱◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 空は暗雲が垂れ込め、激しい雨は微かに残っていた桜をほとんど散らしたようだった。
 俺は傘立てから適当な傘を拝借し校門へ向かうと、五十嵐を探しながら歩き始めた。
 どこ行ったんだろうね、あいつは。
 俺は自分の家に向かってゆっくりと歩きながら、辺りを見回した。
――先に帰ったのだろうか。
 鍵は渡していない。
 しかし、鉄子の姿も見えない。
 俺はなんとなく胸がざわざわとした、落ち着かない気分で空を見上げる。
 春らしくない、酷い雨だ。
 学校から歩くこと十数分。
 俺は自宅のボロアパートの前に、五十嵐の姿を見つけた。
 傘も差さずに、空を見上げている。
 びしょ濡れの五十嵐に俺は何か違和感を感じつつも、気さくに声を掛けてみる。
「よう、お帰り」
 セリフが逆な気もしたが、俺は五十嵐にお帰りと言った。
「…………」
 ただいまとは返ってこない。
 放心したかのような、色の無い顔で五十嵐は俺を見た。
 その澄んだ眼から視線を逸らさないようにするのに、俺は相当な努力を要する。
「傘差せよ、風邪ひくぞ」
 俺は五十嵐の傍に寄って、頭の上に傘をかざしてやる。
 五十嵐は再び俺から空に、視線を移す。
「……お前、学ランはどうしたんだ?」
「捨てた」
「何で?」
「僕は、男にはなれないから」
 その言葉が俺の頭に染み込んで、質問として吐き出されるまでの間に、五十嵐は口を開いた。
 俺は黙って、五十嵐の言葉に耳を傾ける。
「僕、友達居なかったんだ」
 そんなことは無いだろう。そう言えば良かったのだろうか。
 しかし、俺は何も言わなかった。
 言えなかった。
「男友達は居たよ。でも、中学の頃にはもう、向こうは異性としか僕を見てくれなくなった。女友達も一応居たよ。でも、違うんだ。僕は、彼女たちとは別の生き物だから」
 五十嵐は早口にそう言って、どこか遠くを見つめていた。
 こいつの言おうとしてることは、何となく分かる。
 しかし、俺には五十嵐にかける言葉は無かった。
 空から俺へ、視線が移る。
「でも……でも。ニッキーと過ごした、二日間は楽しかった。初めて、本当の友達が出来たような気がして」
「そうか」
 俺は、ようやくそれだけを口にした。
 なんでこいつは、今そんなことを言うのか、理解出来ない。

――これじゃあまるで、お別れみたいなじゃいか。

 五十嵐は笑う。
 それは何度も見た、悪戯めいた笑みだった。
「ニッキーも、最初は僕の魅力にメロメロだったみたいだけど……」
「バカ言えよ」
 ナルシストめ。
 五十嵐は白い歯を見せて笑う。
「僕が男だって分かった時、ショック受けてたくせに」
「いや…………」
 蘇る五十嵐と出会った更衣室の景色を、俺はなんとか払拭する。
「アレは……アレだ。しょうがねぇよ」
「僕が可愛いから、しょうがないよね」
 頬に指を当ててぶりっこをしてみせる五十嵐。
 うぜぇ。
 しかし、まあ……。
「そう言う事じゃ……」
 無い。とは言えなかった。
――何なんだ。また俺はからかわれているのか。
 五十嵐が俺の服の裾を掴み、俺は我に返る。
「僕、聞いてたんだ。ニッキーと刑事さんの話」
 真剣な顔で、急に話題を変える五十嵐。
「ニッキーが、僕のことを友達って言ってくれて、嬉しかった」
 五十嵐は俺の服を強く握った。
 寒いのか、身体が少し震えている。
 頬を雨粒が伝う。
 五十嵐の顔が、近づいてくる。
 吐息を感じる。
 俺は視線を逸らして、薄っすらと浮かび上がったブラを視界の端に捕らえた。
――見るな! 見たらダメだ!
 脳内の俺が警告を発する。
「でも、本当の僕は――――」
 身体を預けるようにしてきた五十嵐を、支えた。
 目が合う。
 そして、その目が閉じられる。
――何か不味い感じがする。
 俺の手から傘が落ちた。
 何も掴んでいない右手が、五十嵐の肩に降りる。
――待て待て、これじゃあ抱き合ってるようにしか見えない。
 混乱する俺の鼻に、微かなシャンプーの香りが届く。
 視線が、五十嵐の小さくて艶っぽい唇に行く。
 背伸びをしたのだろう。
 五十嵐の顔は、もう俺の目の前にあった。

 雨音が聞こえなくなり、その代わりに自分の心臓の音が鼓膜を打つ。

――俺は、もうダメだ。
 五十嵐の柔らかそうな唇を見つめる俺、そして――



「姉さん」
 ドスの効いた誰かの声で、俺は我に返った。
 それは、いつの間にかタクシーから降りてきていた、良の声だ。
――心臓が止まるかと思った。
 五十嵐は何食わぬ顔で素早く元の位置に戻り、髪を指先で弄って遊んでいる。
 しかし、俺の手は空中にある何かを捕まえようとしているかのような、不自然なポーズで固まったままだった。
「……何やってんだ、あんた」
 良の不信感の篭った声に、俺はほんの少し泣いた。
「聞かないでくれ……」
「変な奴だな」
 五十嵐は俺に意味深な目配せをしてきたが、俺は見なかったことにする。
――サノバビッチ。
 俺は良の方に向き直り、尋ねた。
「それで、今日はどんな御用で」
 だが、良は柄にも無く困ったような声を上げ、オールバックの頭を撫でた。
「ああ、なんだ……。昼間は、姉さんを助けてくれたそうだな?」
 最終的に助けたのは鉄子なので微妙なところだが、俺は曖昧に頷いた。
「礼を言わせて貰う」
 そう言って、俺に向かって深々と頭を下げる良。
 俺はなんとも居心地の悪い思いで、上げたままだった両手を振った。
「いや、いいって。あんたにそんなことされたら、明日から背中に気をつけなきゃならん」
「ハッ! なるほど、そいつはちげぇねぇや」
 頭を上げて快活に笑う良。
 こいつがヤクザの組長だと言うことは、この容姿を見れば忘れようが無い。
「でも、わざわざそれを言いに来たわけじゃないんだろ?」
 俺は傘を再び持って、五十嵐にもかざしてやろうとした。
 しかし、五十嵐は俺の傘から逃げるように、良が待たせてある黒塗りのタクシーの方へ歩いて行ってしまう。
 良が、雨に濡れた髪を再び撫でつけ、明後日の方向を見る。
「すまねぇが、姉さんはやっぱりこっちで保護することにした」
「は?」
 俺は良の言葉の意味が飲み込めず、間抜けな声を上げる。
「悪いな」
 俺は良では無く、路地の反対で立っている五十嵐を見た。

「今まで、ありがとう」

 五十嵐の声が、小さく聞こえる。
 雨は、いつの間にか止んでいた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇嵐が去って◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ちゅーしたのか?」
「なんであんたが残ってるんだ。五十嵐の護衛だろ」
 俺は体育座りで部屋の隅に丸くなりながら、何気に寛いでいる鉄子を睨む。
 しかし、鉄子は俺の質問などには答えずに、四つん這いになって俺に擦り寄ってくる。
「なー、したのかよ」
 ネコのように俺に纏わりつく鉄子。
――性質悪いぞ、こいつ。
「教えろよー」
「うるせぇ! してねぇよ!」
 俺は立ち上がり叫んだ。
 別にキスがしたくて、惜しいことをしたとイラついている訳ではない。
 アレはなんとなく、流されてそうなっただけだ。
――そう。
 ただ、あいつのペースに流されて、この家に匿うことになっただけだ。
 それが、元に戻った。
 それだけのことだ。
――なのに、なんで俺はこんなに気にする。
「青春だねぇ」
 どこかで聞いたおっさん臭いセリフを呟く鉄子。
「……」
 俺は唸り、ちゃぶ台の前に陣取った。
 もう疲れた。
 テレビでも見て嫌なことは忘れようと思う。
 リモコンでスイッチを入れ、肩にかけてあったタオルで髪を拭く。
――ろくな番組やってねぇな。
「あ、ガビョナーやってるじゃん」
 いつの間にか俺の隣に座り込んでいた鉄子が、三チャンネルでやっているアニメに反応を示した。画面に映るのは、回転する画鋲と、どう見ても鉄製のボルトが激しくぶつかり合っているシーンだ。
 あ、画鋲が分身した。
「なんだこれ……」
「ジャバニーズなのにしらねーのか」
「知らん」
「いいからチャンネル戻せ!」
 鉄子は俺の肩を掴んで、テレビ画面を指差した。
 香水だろうか。
 柑橘系の爽やかな匂いが鼻腔をくすぐる。
「ほら、アレが主人公だ」
 ぐいぐいと身体を押し付けて、興奮した口調でまくし立てる鉄子。
 無駄にデカイ胸が俺の二の腕に押し付けられ、至福の感触が右半身を包んだ。
――ヤバイ、ちょっと股間が……。
 鉄子が、俺の肩を掴んだまま、もう片方の手で俺の腕を掴む。
 谷間が寄せられ、ちらりと黒いブラジャーが見えた。
――落ち着け俺。
「見たな?」
 鉄子と目が合う。
「いや、その……」
「…………」
 じっと俺の顔を見る鉄子。
 何を言われるのかと、俺は身体を硬直させる。
「まあ、いいや」
――アレ?
 鉄子は俺の身体に張り付いたまま、テレビに視線を戻した。
 意外だ。
 しかし、いい加減離れてもらわないと、股間がエマージェンシー。
 色々、目に毒だし。
「なんだよ……そんなに見るなよ……」
 俺の視線に気付いた鉄子が、頬を染めて目を伏せた。
 この人、こんなキャラだっけ。
 何だか気味が悪い。
 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、鉄子は急に俺から離れた。
「ちょ、ちょっと待ってろ。シャワー浴びてくる」
「ああ、うん」
 いそいそと立ち上がり、トランクを持って部屋から出て行く鉄子を目で追う。
――うん?
 何だ。
 何か変だ。
 何が変かと言うと、雰囲気が変だ。
――俺はいつこんなフラグを立てたんだ?
 ヤバイ、何かドキドキしてきた。
 俺もシャワー浴びるべきなのか。いや、何を期待しているんだ俺は。

――ピンポーン。

 自分のスタンドに心臓を掴まれたのかと思った。
 誰だ、こんな夜中に尋ねてくる非常識な奴は。
 一瞬、昼間の大男が脳裏を過ぎったが、ああいう手合いはわざわざチャイムなど鳴らさないだろう。
「ニッキー、遊びにきたよー」
 アホっぽい声が、ボロアパートに木霊する。

 
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