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第七話「DANGER ZONE」


 古い木製のドアが、ギシギシと音を立てた。
 不協和音。
 ドンドンドン、ギシギシギシ。
 扉の向こうに何か居るのは確かだった。
 部屋の電灯が甲高く小さな音を立て、明滅する。
 室温が一気に下がったかのような錯覚に寒気がして、俺は自分の肩を抱いた。

「ニッキー……」

 何か、居る。
 声に不安そうな色を混ぜた、何者かが俺の名前を呼ぶ。
 俺はこのまま死刑囚のように沈黙してやり過ごそうかと考えた、しかし、それでは先に俺の精神が壊れてしまうだろう。
 肉体の死か、精神の死か。

 俺は意を決し、声を上げた。

「居ませんよ!」

 ガチャ。
 バタン。
 アホっぽい何者かが、堂々とドアを開けて部屋に侵入してくる。
「お邪魔しまーす」
 鍵をかけていなかったのを忘れていた。
「…………」
 俺は目を見開き、尻餅を付いて、地べたに這いつくばって、何者から距離をとった。
「た、助けてくれ!」
 怯える俺を見て、ニヤリと口元を歪めて笑う侵入者。
 床をきしませながらゆっくりと、両手を広げて俺を追い詰める魔の手。
「助けを呼んでも誰も来ないぜ……」
「いやぁあああああ!!」
 しかし、神はまだ俺を見捨てては居なかった。
 ドアを開けて長い金髪を上げた鉄子が現れ、とっさにハンドガンを取り出してアホに向かって構えたのだ!

「ええと……、ごめん。何事?」
 胡乱な眼で俺とアホを交互に見る鉄子。

 俺は予想外の展開に驚きながらも、ゆっくりと立ち上がった。
 アホの澤井は目を見開いたまま、両手を広げて今度は鉄子に向かい合う。
 俺もそれにならって、両手を広げて鉄子に向かっていった。
「あああああ」
「ううううううう」
 ゾンビのようにのろのろと移動する。
 本物のゾンビは足が速いらしいが、それだと怖すぎるのでゆっくり移動する。
 ようやく状況を飲み込んだ鉄子が、額に青筋を浮かべながらボソッと呟いた。

「……撃っていいか?」
「ごめん、撃たないで」
 俺は広げた両手をそのまま上げて、降参のポーズに変えた。
「ゾンビはそれくらいじゃ死なないのだぁ……」
 そして、なお立ち向かう澤井を後ろから羽交い絞めにして止める。
「かゆ……うま……」
 アホが何か呟いたようだが、俺にはよく聞こえないし。特に聞こえなくても問題無いのだろう。

 馬鹿は死んでも治らないが、アホは死んだら治るのだろうか。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ゾンビごっこ終了◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「初めまして、隣の部屋に住んでいる小池鉄子と言う者です」
「初めまして、近所に住んでいる澤井と言う者です」
 右手に鉄子。左手にアホとテレビ。
 そして何故か正座する俺。
 テレビから聞こえるニュースの声が響き、重苦しい空気がちゃぶ台の上で渦巻いている。
 普通だ。
 二人の普通過ぎる会話に、俺は一抹の不安を覚える。
 それは、おすぎとピーコが性転換したらどうしようと思いをはせる、そんな気持ちに似ていた。
 どうでもいい。
 俺がこの状況を澤井にどう説明しようかと胃を痛めつけていると、当の本人が口を開いた。
「鉄子さんって、よくニッキーの部屋に遊びに来たりするんですか?」
 オレンジのパーカーについている紐を触りながら、なんだか鋭い質問を飛ばすアホ。
 私服を着ているせいか、胸のボリュームが大分増えているような錯覚を覚える。
 ミニのデニムスカートと合わさって、大人びているような、子供っぽいような、どちらとも形容しがたい微妙な格好になっていたが、それが逆に澤井にはふさわしいように感じた。
 いや、やっぱり子供の時とは服装も違うよなぁと、しみじみ思う。
 見とれて居た訳ではない。
「いや、ここに引っ越してきたのはつい最近だから、部屋にお邪魔するのは二度目かな? なんだか不穏な物音がしたんで、あれだよ、モデルガンを咄嗟に」
 困ったように笑う鉄子の仕草が俺にはわざとらしく見えたが、嘘をつくならこれくらいがちょうど良いのかも知れない。
「なるほどなー。そういうの好きなんですか?」
 感心したように頷く澤井。
 鉄子は困ったような笑みを、さらに深くしたように見える。
「まあライクっつか、ライフみたいな」
「へぇー」
 今度は納得したように頷く澤井だが、恐らくライクとライフの違いは理解していないだろう。
「あ!」
 アホが急に叫ぶ、そして眼を輝かせ言う。
「さっきの、見せてもらってもいいですか?」
 一瞬、鉄子が俺に目配せをしたが、こっちを見られても困る。
「……ああ、ちょっと待ってね」

 渡すのか。
 流れ上仕方の無いこととは言え、アホに実銃を渡すのか。

 鉄子はいつの間にかトランクにしまっていた銃を取り出し、若干青い顔をしてアホに渡した。
 恐らく分かってしまったのだろう。
 このアホの、アホと呼ばれる理由の片鱗を垣間見たのだ。
 澤井のアホさは、三言も口をきけば誰にでも理解できる。そして、そいつに銃を渡すということの愚かさも良く分かるだろう。
「これってなんて名前なんですか?」
 おもちゃを手にしてはしゃぐアホ。
――そんなに振っちゃらめぇええええ!
 鉄子は、両手をちょっと前に出しながら、慌てて説明する。
「グロック17って言うんだけど、あれ、弾出るから気をつけてね?」
「へぇー」
 じ……っと銃を見つめる澤井。
 そして、あろうことかその銃口を俺に向ける澤井。

 おもちゃだとしても、良い子は絶対マネしないでね!

「さ、澤井? 危ないから、マジでそれ。こっちに向けんな……?」
「へへへ、ビビってんのか?」
「いや! ホント勘弁してください!」
 ガンマン気取りで笑ってみせるアホに向かって、俺は叫んだ。
 洒落になってないし、笑えない。
 鉄子は、呆気に取られたようにことの成り行きを見守っていた。というか硬直している。
 頼むぞマジで!
「撃っちゃダメ?」
「ダメに決まってるじゃねぇか!」
 なんだか知らないけれども、アホの眼が笑っていない。笑っているのに笑っていない!
 ちょっと待ってくれ、マジで撃つ気なのか。
 止めてくれ、鉄子止めて! アホを止めて! 早く!
「撃ってみたいなぁ……」
「撃たないでくれ!」
 俺は西部劇に登場する哀れな酒場の店主のように叫んだ。
 実際に銃を向けられるとこんなセリフしか出ないんだなと、のん気な思考が脳裏を過ぎる。

「だが断る」

 そして、乾いた破裂音が響いた。









 撃ちやがった。











「ぬあぁあああああ!」

 腹部に鈍い痛み。
 略して鈍痛。
 俺は自分でも信じられないくらい間抜けな声を上げて後ろに倒れた。
「あははは! ぬあー! だって!」
 アホの笑いが遠くに感じる。
 撃たれた。
 死ぬ。
 死ぬのか俺は。
 腹部を押さえる。
 血、血が……!

「なんじゃ……こりゃあ……」

 血は――

 血は、出ていない。
 確かに撃たれたはずなのに、俺の腹部は綺麗だ。そしてセクシーだ。
 俺は起き上がり、鉄子を見た。

――笑いを堪えていやがる!

「ぬ、ぬわー……? 撃たれてそんな声上げた奴は始めて見たぜ……ぷふっ!」
「あはは!」
 アホは笑いすぎて目尻に涙を浮かべ、ぬわーぬわーと俺の口真似を繰り返した。
 恥ずかしさで、顔から火が出るかと思う。

 俺は立ち上がり叫んだ。

「ぬぁあああああああッ!」
「あははは!」
「うひゃひゃ! 笑い殺す気かよ!」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇澤井:レッドカード◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 嵐の去ったボロアパートで、俺は鉄子とちゃぶ台を挟んで向かい合っていた。
 あの後、二人の半笑いの謝罪という屈辱を受けた俺は、それ以降一言も口を利いていない。
 少し大人気ないかも知れないが、それを言うならあんな冗談を仕掛けた鉄子が悪いのだ。
 俺はじっと、自分の腹部を貫いた電動ガンを握り締め、観察していた。
「謝ってるじゃんかよぉー」
 鉄子の素足が俺の膝を撫でてくる。
 俺は精一杯のメンチを切って、それに答えた。
 そんなやりとりが数回。

「お前さぁ、警察から私のナイフのこと聞かれたか?」

 突然、鉄子が眼を細め、そんなセリフを呟いた。
 例のあの眼だ。
 ありていに言ってしまえば、それは人を殺せる眼だった。
 その眼光に怯んで、俺は仕方なく口を開く。
「……いや、聞かれてない、けど」
 例の刑事のことを思い浮かべながらそう答えると、鉄子は唇を吊り上げて笑う。
「はーい喋ったからお前の負けー」
「…………」
「ごめん冗談だって! 泣くなよ」
「泣いてないやい!」
 俺は両手で顔を覆って首をぶんぶんと振った。
「じゃあなんで顔隠すんだよ……」
 鉄子の脚が伸びてきて、俺のふとももを器用にさすってくる。
 ちょっと気持ちいい。
「いいだろ顔隠しても。あんたの顔なんかもう見たくない」
「だーから、謝ってるだろーがよぉ」
 スリスリ。
 反応したら負けだ。

――何に。
 パッションにディグニティが負けるのだ。

「しかし、あの大男が捕まったってニュースも聞かないな」
 俺は手を離して、鉄子を見た。
 俺のことをからかいながら、テレビのニュースも全部チェックしてた訳じゃあるまいな。
「警察がナイフについて聞いてこないのは、確かにおかしい。なら、初めから存在を知らないと考えるのが妥当かもな」
「そうさなぁ。あの状態から、すぐに復活してとんずらっていうのも考え難いけど」
 つまり、あの大男はまだある程度自由に行動出来る状態にあるわけだ。
 そして、鉄子の脚が俺の股間部分に到達する。



「あのデクノボウがまだ逃げおおせてるなら、そうなるな」
「どういうことだよ」
「あの大男は捕まっていて、その情報が出てこないってこともありえるんだぜ」
 鉄子は目を細め、湿っぽくまとわりつく笑みを浮かべた。
 足の親指と人差し指で器用に俺のモノを挟み込むようにして、しゅるしゅると厚いズボンの生地越しに刺激を送ってくる。
 本当に足なのか疑わしくなるほど繊細な動きに、俺は股間を固くさせながら考える。
 思考で雑念を振りほどくのだ。
「報道規制?」
「お前も目を付けられたかも知れないってことだよ」
 足の指とは思えない、まるで手で擦られているかのような感触に思わず下を確認したくなる。
 シュルシュルシュル。
 強くも弱くも無い絶妙な力加減。
――手馴れている。
「俺も、事件に関係しちゃったってことか」
「とっくにな」
 微笑む鉄子の唇が、淫靡にうごめき言葉をつむぐ。
「ちょっと、耳貸せよ」
 周りを見回し、手招きをする鉄子。
 俺は釣られるように辺りを見回し、そして誘われるようにちゃぶ台の上に身を乗り出した。
 肩を捕まれ引き寄せられ、耳元に吐息の当たる距離で鉄子が呟く。






「気持ちいいか?」






 恥ずかしさで耳が燃えるかと思った。
 意識すれば、鼓動が早くなる。
 俺はなんでもっと早くこの足コキを止めなかったのか。
「逃げるなよ……、ほらこっちへおいで」
 トムキャット。
 そう鉄子はささやいて、俺の首筋を撫で上げた。

 ふぅ…………。

「鉄子、今は昼に起きた事件の話をしているんだろう? もう少し真面目にしてくれないか」
 俺は姿勢を正してそう言った。
「…………」
 鉄子のなんとも形容しがたい表情が、酷く目に焼きついた。
「お前……」
 鉄子の足が、恐る恐るといった様子で俺の股間を触る。
 俺は首を振り、いった。
「風呂に入ろうと思う」
「ああ、そうしろ……」

 部屋を出る間際、鉄子の不服そうな顔が目に入ったが、俺は見ていないことにしようと思う。
――人生とは、見て見ぬ振りと忘却によって成立するのだ。
 これは、五十嵐から学んだ教訓だった。

 俺はシャワールームでほんの少しだけ、
 泣いた。

 
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