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第八話「ホワイトベース」


 チュンチュンチュンチュン、すずめが命がけで縄張り争いをしている朝が来る。
 そう、外は戦場だ。主に小鳥さんたちの。
 俺はボリボリと頭をかき、俺の耳には雑音にしか聞こえないすずめの鳴き声に溜息を吐く。
 一年以上も一緒に住んでいた、そんな感覚だ。誰って、もちろん五十嵐のことだ。俺は考える、あいつが泣いていた意味を。散々振り回しといて、急に態度を変えやがって糞。
 ぼやけた頭は回らず、俺は二度寝を決心する。
 もう少しだけ……。
 寝返りを打ち、そして触れる暖かく柔らかな感触。
「わぁい、にくまんだー……」
 俺の黒歴史は今月に入ってどんどんその数を増やしていき、昨日の夜もホームランだったことは覚えている。覚えているんだが……。
 これはどういうことだろう。
 肌理の細かい白い肌にうっすらと浮かんだ汗、それが滑らかな動きで豊かな胸元の隙間に吸い込まれていき――
 俺はようやくこの手に掴んでいるものが、鉄子の胸だと気付いた。
 冷や汗が止まらない。
「ああ、おはよう……」
 柔らかな朝日のように微笑む鉄子が、俺の跳ねた髪を撫でる。
 毛布で胸を隠し、はにかむ様に目を逸らす。
「そんなに見ないでくれよ、恥ずかしいじゃねーか」
 キャラを作ってるキモイ女はシカトしたいが、状況が分からなければ対処のしようもない。
「……なんで裸なの?」
「別にお前が期待してるようなことは何もねーよ。単に裸じゃないと寝られないんだあたし」
 あっさりと答える鉄子の白い肩を掴む。
「じゃあなんで俺の布団で寝てるんだよ!?」
「あたしに畳みの上で寝ろってのか? って言うかお前早く手を退けろよ、童貞が感染る」
「…………」
 鉄子の渾身の口撃に、俺は乳を揉むというささやかな反撃をした。
 不幸にも布に遮られ見えないが、俺の指を簡単に受け入れるこの抵抗の無さ。しかし確かに手に残る弾力。

――おっぱいって本当に素晴らしいですね。

 顔に正拳突きが刺さる。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇責任取ってよね◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「一応お礼は言っておくわ、ありがとう」
 朝の爽やかでかつ気だるい時間はそうしてぶち壊される。教室に入るやいなや、俺を取り囲んだ女子生徒六名。その中央に仁王立ちして立ちふさがる黒髪長髪のいかにもツンデレな女が一人。




「は?」
 俺は持っていた何も入っていない鞄を机の上に落として、ホラー映画で一番初めに殺される一般人のような間抜けな声を上げた。混乱した頭でも、クラスの視線が俺に刺さってくるのを感じる。
「かっ、勘違いしないでよね! 別に貴方のことが好きな訳じゃないんだから……!」
「ああ、うん……は?」
 お前、頭大丈夫か? そう言いたいのを堪えて、次の言葉を待つ。
 しかし返って来たのは気まずそうな顔をした取り巻きのなんとも言えない微笑と、中央に立っているツンデレ女の不機嫌そうな顔だけだった。俺はとりあえず最近出番の無い踏み台恐竜のマネをしてみる。
「で? ……っていう」
「はぁ!? 私がここまで言ってるのに分からないの? 本当に鈍い男ね。昨日は私のゆきゆきを助けてくれてありがとうって言ってるのよ!」
 無駄に長い髪をかき上げて叫ぶツンデレ電波女。無駄にシャンプーの良い匂いがして俺は目を閉じる。ダメだろニッキー、そんなだから童貞って言われちゃうんだぜ。
「ええと……私のゆきゆきってのは五十嵐のことか?」
「……答える必要は無いわ」
「おい! おかしいだろ!? お前から話し掛けて来たんだろうが!」
 俺の華麗なツッコミにビクンと肩を震わせるツンデレ電波女、意外と小心者らしい。涙目になってこっちを睨みつけてくる様子に肩を竦める他無い。俺は視線を周りの女子五人に向けるが、どいつも俺と会話する気はないらしく困ったような苦笑を向けてくる。
 いや、俺にどうしろと。
「グッモーニン可愛い子猫ちゃんたち!」
 教室のドアを無駄に思い切り開け、台風のようにやってくるアホが一名。俺はその声に安堵してしまっている自分を責めつつ、アホな挨拶をするアホみたいに明るい笑顔のスーパーアホを見た。
「そんなにアホじゃないよ!?」
「心を読むなよアホ」
 いつの間にか女子の輪に加わって俺を取り囲むアホの額にチョップを入れるが、それを無視してツンデレ電波女とアホは会話を進める。
「おはよう澤井さん……」
 まだ涙目なツンデレ電波レズ女。
「おはようかなちゃん、ニッキーに苛められたの?」
 澤井は背伸びをしてかなちゃん(仮称)とやらの頭を撫でながら、心配そうに小首を傾げる。
 俺を置いてきぼりにして進む茶番に面倒になった俺は、自分の席の椅子を引くとその上に腰を下ろし窓の向こうに分厚く広がる雲を眺めた。どうやら当分晴れ間は覗きそうに無い。取り巻きの女たちは何故か俺とアホとツンデレを囲むように広がり、事の顛末を見送る方針のようだ。
「別に……ゆきゆきファンクラブの会長として、昨日のお礼を言っただけよ」
「なるほど、昨日のニッキーは超格好良かったよね。いつの間にか廊下で倒れてたけど、ぷぷぷ」
「おい笑うな。それに別に助けるつもりでしたわけじゃねぇよ……」
 視線は合わせずに俺は頬付けを突きながら言う。って言うかゆきゆきファンクラブって何だよ。しかも会長って。
 俺は視線を女どもプラスアホに向ける。
 七つのニヤニヤ笑いが俺を見下ろしていた。
「貴方っていわゆるツンデレ?」
 お前にだけは言われたくねーよ。くたばれツンデレ女。
 始業前の予鈴が鳴る。
 アホが自慢げにゆっきーファンクラブの会員証を見せ付けてきたが、そんなもの早く捨てなさいと親心のある言葉を掛けてその後はシカトする。
 俺は右斜め前の五十嵐の席を見たが、そこにあいつの姿は無い。
 その代わりに、何故か武藤の強い視線に気付き眉を顰める。そういや、あいつも昨日の被害者の一人か。俺がメンチを切ってやると気まずそうに前を向く。何か知らんがまあ良い。

 結局その日、五十嵐は学校に来なかった。それが問題だ。


◇◇◇◇◇◇◇◇別に貴方の×××なんて舐めたく無いんだから!◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 学校からの帰り道。俺は校門で待っていた鉄子と合流し、会話も無く黒々とした曇り空の下を歩いていく。四月だというのに寒風が吹き俺の顔に吹きつける。よくもまあ、こんな寒い中をスカートで歩けるものだと、女の根性というものに感心する。
――いや、女じゃない奴もスカートをはくか。スウェーデンの民族衣装だしな。
 俺は浮かんできた可愛らしい顔に眉を顰める。確かに五十嵐は可愛い。だが男だ……。
「雨が降ってきたな」
 俺の後ろの壁際を音もなく猫のようについて来ていた鉄子が、手の平と顔を空に向けながら呟いた。どうでも良いが、いつまでこいつは俺の家に居るつもりなんだ。
「なあ、お前って五十嵐の護衛じゃなかったのか……?」
「その筈だったんだけどな、何か良の奴がこっちに居ろってうるせぇんだよな。例のデカブツのこともあるし」
「あれって例の山内組の人間なのか?」
「多分な、リストに乗ってないってことは下っ端だろどうせ」
 鉄子の言うリストが何のリストなのかは分からなかったが、俺はただ頷いて黙った。
 俺の頭の中に何度も過ぎる、あいつの泣き笑いが思考をどこか遠くへと泳がせた。
「五十嵐は、誰が守ってやってんだろうな」
「さあな、組の人間の誰かだろ」
 俺が言いたいのはそういうことじゃなかった。誰にも男だと知られないように過ごしてきて、本当の意味で心を許せる人間がいたのだろうか。
「あいつの母親は……?」
「とっくに死んでるよ」
 俺は黙る。
 母親も父親も無くして、弟にすら打ち明けられない秘密を抱えて、今度は命の危険に晒されて……。あいつはどう思ってるんだ、何を考えてる。
 俺は泣き出した空を見上げた。
 あいつは何もかもから逃げ出して、この町で一人で暮らす俺に境遇がそっくりだ。
 ただ、あいつはまだ逃げないで戦ってる。
「気になるなら、今度はお前が追いかけてやれよ」
 鉄子の言葉に俺は首を縦には振らなかったが、
「暇なら助けるって言っちゃったしな……」
 何を隠そう俺は年中暇なのだった。

 雨はまだ止みそうも無い。


◇◇◇◇◇◇◇◇ピーチ姫はわざと捕まってマリオの愛を試している◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 和を以て貴しとなす。
 そんな日本人の心とはかけ離れた頑丈そうな厚いガラスに、金属の枠組みに覆われたオートロックの自動ドア。
 俺は一歩下がり、五十嵐の居るマンションを見上げた。
 一、二、三……十九、二十階建ての巨大な灰色の壁のような建物は、まるで分厚い雲にその頭を突き入れそうな勢いだ。
 正直言って、小市民の俺は既に帰りたい気分だぜ。
 ちょっと顔を見て、軽く話すだけのつもりが早くも見たままの壁にぶち当たる。
 そもそも俺はこのオートロックと言うのが苦手だったが、今更そんなことは言えない。
 白いオートバイで俺を送ってくれた鉄子を振り返ると、萎縮したせいで無駄な敬語を使う。
「……で、五十嵐さんは何階にお住まいなんですかね」
「二〇〇一号室だそうだ」
 にーまるまるいち。
 俺は冷たい文字盤の数字を押し、コールボタンを押す。
 左手の親指でカメラを押さえて顔が映らないようにしつつ無機質な呼び出し音を聞いていると、鉄子があろうことか手袋を嵌めた両手で自動ドアの扉を開こうと踏ん張り始めたのを視界の端に捕らえる。
「ちょ! いやいや、何やってんだよ鉄子!」
「空いてるぜ、スイッチが切られてるのか、壊されてるのかはわかんねーけど」
 言葉通り、自動ドアはほとんど抵抗もなく開いたようだった。
「どうなってんだ……?」
 壊れてるのなら住人が管理人にでも言いそうなものだが。
「バカが、だからどうせ隠すなら人の居るマンションにしろって言ったのに」
 鉄子のぼやきに俺の鼓動はほんの少し早くなる。
「おい……もしかして、このビルには五十嵐しか居なかったのか?」
「ああ。ここは親父が経営してるマンションだからな」
 親父ってのは多分、死んだ組長のことか。
 俺は足音を全く聞こえさせないふかふかの絨毯を踏みつけ、エレベーターホールまで早足で進むと三角のボタンを二度叩いた。一階に止まっていたエレベーターの扉はすぐに開き、静まり返ったホールにやけに響いた。鉄子は黙ってついてくると、鞄の中から黒光りするアレを取り出した。
 俺が良に貰ったリボルバーだった。いつも持ち歩いてやがったのか。
「撃ち方分かるか?」
 俺は手にずっしりとくる重さに眉を顰めつつ、それをベルトの前に挟む。
 日常会話でもしてるかのようなごく普通な口調の鉄子に、俺は胃に力が入るのを感じながら、俺は良の言葉を思い出した。
「出来るだけ近づいてから、腹に向かって六発全部撃ち込む」
「げぇ……まあ良いけどよ、間違っちゃいねぇし」
 鉄子は舌を出してうんざりしたような顔をしたが、訂正してくれるつもりは無いらしい。
 想像する。仮に五十嵐がヤクザに攫われてる場面に遭遇したとしよう。
 俺はそこに颯爽と現れて、何人居るかも分からないそいつらの一人に向かって鉛弾を全部撃ち込むわけだ。その後俺は仲間に撃たれて死ぬ。
 傑作だ。
 何で俺がこんな物騒なものを振り回して戦う必要がある。
――チン。
 思考を遮るようにエレベーターは電子レンジのような音を響かせ、二、三階しか上がっていないような所要時間で二十階に到達した。鉄子が右を指差しながら俺に視線を送るので、俺は銃を抜いて扉が開いた時右に注意できるよう構える。鉄子が視界の端で薄く微笑んだ。
 ドアが開き、一階の明るいホールとは打って変わったオレンジの落ち着いた証明が照らす廊下が見えた。ナイフを構えると背を低くしながら廊下へ飛び出す鉄子の背を追って、俺も慌てて廊下へと飛び出した。
 誰も居ない。肩を叩かれる。この階には二〇〇一号室しかないようだ、俺は駆け足で扉の前まで進む。鉄子が扉を思い切り引き開け、背を低くしたまま部屋に滑り込んだ。
 数秒後、俺は肺から思い切り息を吐き出す。
 広過ぎるワンルームの部屋には誰も居ない。隠れるような場所も無い。
 鉄子がトイレ、バスルームとチェックし完全に無人だと確認。
 部屋の中央に置かれたガラスのテーブルに、五十嵐が好きそうなケーキが食べかけのまま皿に置かれている。
 まるで食べている最中に消えたような印象を受け、俺は眩暈を覚える。
「女の子の部屋に初めて入った感想はどうだ?」
 鉄子はまだ何か気になるのか鋭く視線を泳がせながら、いつの間にかナイフの代わりに携帯を手に持ち言った。
「別に初めてじゃないし!」
 思わず大声で否定し、逆に怪しかったなと激しく後悔する。
「違う、嘘じゃない。アホの家に沢山行ってるし」
「あっそ……ああ、あたしだ。優希が消えてるぞ」
 続けて言った言い訳も軽く一蹴され俺は死にたい気分になった。
 鉄子は人を小バカにしたように手を振りながら、電話先の相手と話し始める。
 相手は多分良だ。
 数秒後、通話口に耳を傾けていた鉄子の眉間に皺が寄る。
「……分かった、なら三人で。じゃあな馬鹿野郎」
 馬鹿野郎と言った時、一瞬だけ鉄子の表情が柔らかくなる。
 良とは面識があるのか。
 そして通話を終えた直後、鉄子が満面の笑みを俺に向けた。何度も目にした、嫌な予感しかしない類の笑みだった。

「おいニッキー、白馬に乗ってお姫様を助けに行こうぜ」 

 いや、お姫様じゃねーし。


 
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