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大切なこと


 夕方に振り出した雨は次第に強くなり、俺が廃病院に着く頃にはいよいよ本格的な雷雨に変わった。俺は鉄子に借りた雨具を着たまま、夜の帳の奥に佇む不気味な建物を見上げた。
 五十嵐の家からバイクで一時間もしない山の奥、眼下には街の明かりが瞬いている。
 俺の家からもそれほど遠くは無い。
 ここに五十嵐を連れ去ったと、片桐とか言うヤクザからメールが届いたらしい。
 どうでも良いが脅迫状もメールの時代らしい。通信会社にチェックされれば居場所は一発だと思ったが、どうやら他人名義のプリペイド携帯は安く手に入るようだ。
 俺は腰のベルトに刺したリボルバーを、黒い合羽の上から触る。
 どう言う訳か、俺はこれからヤクザのわんさか居る場所へ五十嵐を助けに行くらしい。雨が生い茂った木々や葉に辺り音を立て、俺の頭上に降り注ぐ。ぬかるんだ地面から跳ね上がる水しぶきが霧のように濃く地面を煙らせた。雨は俺の思考も曇らせる。
 はっきり言って、まるで現実感が無かった。
 俺はヘルメットを脱ぎ、家からもってきた白いキャップを目深に被る。
「アニキ」
 暗がりから、ぬっと出てくるどう見てもヤクザにしか見えない男に、俺は悲鳴を上げそうになった。艶のあるオールバックに、今日は濃いグリーンのシャツにスーツ。そして腰には黒塗りの日本刀。
 良だ。
 アニキと呼ばれると色々と取り返しの付かない所に来てしまった感があるので止めて欲しいが、流石に今この状況で言うほど空気が読めなくは無い。これが終わったら言おうと思う。
「……ここに五十嵐が居るのか?」
「さいで」
「そうか……」
 それなら仕方ない。
 助けに行くさ――友達だからな。
 心の中でそう念じることに、どこか後ろめたさがあった。だが、俺は気付かぬフリをする。
「……アンタ、本気で一緒に来るンですか」
「行くよ」
 束の間の静寂の後、良が俺を見据えて低い声を出す。
「姉貴がよォ……アンタの家から隠れ家に送る時、車の中で泣いてたンでさァ……」
 俺の呼び方が、アニキからアンタに変わっていることに気付く。そして、静かだが怒気を孕んだ言葉に俺は思いだす。姉貴を泣かせたら殺すと、良が言っていたことを。
 ヤバイ。俺の命がヤバイ。
「姉貴はアンタに……アニキに、心底惚れ込ンでる。それを滅茶苦茶にしたのは俺のせいだ。俺が組をしっかり纏めてりゃ、こんなことにはならなかったンでさ。俺たちの問題に、アニキがわざわざ来ることはねェ……そもそもアニキは堅気でしょうがよ。アニキに何かあったら、俺は腹切っても詫び足りねェンです……」
 どうやら、良が怒っていたのは自分に対してのようだった。しかも俺に危険だから来るなと言ってくれているのだ。俺は少し、こいつのことを誤解していたのかも知れない。
 この期に及んで迷っている自分が情けなかった。
 俺は良の目を見据え、勇気を奮い立たせるように答えようとし――後ろから肩を叩かれてタイミングを見失う。
 黙って話を聞いていた鉄子が、良い笑顔で俺の代わりに答えた。
「いや、行くよこいつは」
 おい、勝手に決めんな。
 いやまあ、行くんだけどさ。俺のセリフ盗らないでくれ、今マジで良いところなんだから。
 微妙な面持ちのまま鉄子ではなく俺を見てくる良に、多分情けない顔をしながら答える。
「ああ……うん、行くよ?」
 タイミングを逃して、完全に分かりきった確認みたいになったが気にしない。
 どうせ行くんだ、何でも同じだろ。
「行きやすか……」
 同じように何とも興の殺がれた顔で呟く良に、俺は思わず尋ねた。
「どうやって?」
「そりゃァ勿論……正面から行くに決まってンでしょうが」
 獰猛な笑みが、薄暗い森の中で鈍く輝いた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇魔王城突入◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 壊れたドアを蹴り開けて病院内に飛び込むと、そこに待ち受けていたのはサブマシンガンを構えたヤクザの群れだった。
 と言うことは全く無かい。
 暗い元ロビーの広々とした空間には、拳銃をだらりと身体の横に垂らしてタバコを吸っている男が一人だけ。他の服装もバラバラな六人は獲物も持たずに座り込んでいるだけだった。
 鉄子の動きは素早い、スーツケースから艶消しされたハンドガンを取り出すと即座に群れた男たちに狙いを定める。
 マガジンがグリップからはみ出していることに俺が気付いた時には既に、銃声が爆竹のように連続して鳴り響いている。
 弾をばら撒くように適当に狙いを定める鉄子の横から、良が滑るようにただ一人銃を持った男の懐に飛び込んでいく。暗闇をマズルフラッシュがチカチカと照らし、まるでスローモーションのように良の痩身が浮かび上がり。
 男が銃を構えるよりも先に、銃撃の閃光を受けて文字通り銀色に煌めく刃が綺麗な弧を描いた。銃声が止むのと同時――
「ア゛ァアアア゛アアア゛ア゛ア゛ア゛!」
 掴んだ銃ごと腕を切り落とされた男の、獣のような叫びがロビーに鳴り響く。
 俺はまだ銃すら構えていない。
 ただの数秒で六人のヤクザが床に転がり、銃を持った男も膝を着き腕を押さえて呻くだけ。
 俺は思う。何しにここに来たんだろう、と。世界が違い過ぎて、感覚が完全に麻痺している。
「こりゃァどうも、ご挨拶が遅れまして……」
 騒がしい叫び声に掻き消されない、図太い良の軽口が俺の耳まで届いてくる。
 良は刀についた血を紙で拭いながら腕を切り落とされた男に近づくと、楽しそうに男の腹を蹴りつけ、身体を床に押し倒した。
「遊びに来やしたぜ、岩崎サン。うちの姉貴が随分世話ンなったようで、こんなものしかねェンですが受け取ってくだせェ」
 良は男――岩崎を踏みつけたまま千切れた腕を拾うと、断面と断面を叩き付ける様に押し当てた。
「ぐぅううううう! おっ、お前……ッ! 何やっへんのか分かって……!」
「へェ……どうもすンません。俺ァ学がねぇもンで、礼儀ってもンをしらねェンだがよ。親父のタマ殺られて、姉貴攫われて……そんで今度は組を寄越せってのは、礼儀や義理の限度を超えちゃあいやせンか?」
「ア――――――ッ!」
 スプラッターというレベルじゃない。
 暗くて噴出す血がほとんど見えないのが幸いだったが、それでも俺は吐き気を堪えるのに精一杯だった。一人呻く俺の肩に、また手が当たる。
「外道岩崎は五十嵐組を潰そうとしていたが、正義のヒーロー良によってその野望を阻止されたのであった……ってことで、もう良いだろ? 上に行こうぜ」
 鉄子はいつの間にか針のように細いタバコを咥えて、つまらなさそうに呟いた。
 上――?
 そうだ、ここには五十嵐が居ない。
「な、何で上だって分かるんだ?」
「三階だけ明かりが点いてたろ。ほら、早く帰って風呂に入ろうぜ」
「いや、うち風呂無いし」
「温泉でも入りたいな、ニッキーの奢りで」
「金も無い」
 馬鹿な会話の後ろでまた悲鳴が上がる。
 鉄子の馬鹿話のお陰で少し冷静になれたかも知れないが、俺の現実感はどこか遠くへ行ってしまったようだった。
 促されるまま右奥にあった階段を昇りながら思う。昇れば昇るほど天国へ近付いている。
 夢なら早く覚めてくれ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇門番登場◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「なあ、てっちゃん。これは夢か?」
「いや……あたしも自信無いけど、多分現実じゃね?」
 階段を昇るとそこは雪景色でした、と言う方が文学的で良いと思う。
 目の前に、前に五十嵐を襲った大男が立っていた。
 少し前に会った時と変わらず、黒いジャケットにフルフェイス。ただし、鉄子がナイフで空けた穴だけが綺麗に消えていた。
「双子の弟と言う可能性が……」
「あるあ……あるある」
 鉄子は一度同意を止めて考え込み、結局願望も含めて頷いた。
「兄かも……」
「この際どっちでも良いけどな……」
 不死身の大男よりもそっちの方が分かりやすくて良い。
「また会ったな」
「「またお前か」」
 俺と鉄子はタイミングバッチリで突っ込みを入れ、その場で目を見合わせハイタッチをした。
「……俺が生きてるのがそんなに不満か?」
 寂しそうに呟く大男に少しだけキュンとくる。しかし何で、ついこの間ナイフをぶっ刺されたのに平気な顔して立っているんだろうこいつは。不死身か。
「今日は失敗しない」
「人攫いにしては図体がでか過ぎるぜ」
 俺もそう思う。人攫いのプロにしてはやり方も乱暴だったしな。
 なんてことを考えていたら、大男はその巨体に似合わない素早さで肉薄してきていた。
 鉄子もこれは予想外だったらしい、男の大きな手が鉄子の細い首筋を掴む。銃声。いつの間にか抜かれた鉄子の銃から、二発の弾丸が放たれ男の脚を撃つ。
 だが、男は身体を微かに揺らしただけで手の力を緩めなかったようだ。
 鉄子が目を見開き慌てて両手で男の腕を押さえるが、足が床から離れ軽々と持ち上げられる――俺は考えるより先に大男の股間を蹴り上げた。急所への攻撃は効いた、痛みに腰を曲げて頭を下げる大男の側頭部が俺の頭の高さと重なる。瞬間、上段蹴りを食らわせる。メットの固い感触、だが確実に俺の足は男の急所を二度捉えた。
 股間を抑えて蹲る……大男じゃなく、俺が。股関節がグキっと言ったのだ。
 大男の手は緩み、鉄子は苦しそうに眉を顰めながらも両手を男の腕から離し、代わりにナイフを二本突き立てる。大男の手の力が完全に抜け、鉄子は咳き込みながら床に転がった。床に落ちた銃は再び鉄子の手の中に戻り、目尻に涙を浮かべながら首筋を押さえた――
 鉄子は聞きなれない言葉で何かを早口で叫びながら、大男の身体中に銃弾を放つ。
 ハンドガンのスライドが下がったまま動かなくなるまで、鉄子は罵声らしき言葉と銃弾を同じ数だけ男に叩き付けた。
「……さんきゅー」
 呆気に取られていた俺は、鉄子の最後の言葉だけ聞き取り我に返った。
「何で大男に礼を言うんだ……?」
「馬鹿、お前に言ったんだよ。……あ、ありがとな」
 鉄子は俺の顔を見もしないで恥ずかしそうに言った。俺が何か言うのよりも先に鉄子は言葉を続ける。
「首の骨、マジで折られるかと思った。お前は良い蹴りしてたぞ。何かやってたのかよ、聞いて無い。カラテか?」
「落ち着け。日本語がちょっと変になってるぞガイジン。――何を隠そう俺は通信空手をやっていたのだ!」
 久しぶりに足を高く掲げたせいで外れそうになった股関節を押さえ、床に情けなく蹲りながら答える。それをようやく振り返った鉄子が見て、不審そうに眉を顰めた。
「……何やってんのお前、すげぇ格好悪い」
「俺的には人生で一番輝いてた気がするんだけどな……気のせいか……」
「気のせいだ」
「本当に……?」
「……ま、まあ、ちょっとは輝いてたぜ」
 ツンデレ頂きました。
 俺はようやく立ち上がると、後ろを振り返った。
 階段が上下階に伸びている。前には蜂の巣にされて動かない大男が居る。
 もしかして、三階に上がるのにこいつと戦う必要は無かったんじゃないか。
 そう思ったが黙っておく。ついでに大男の胸が上下に動いている気がするのも黙っておく。
 生きてるはずが無い。
 俺は踵を返し階段へと足を伸ばすが、隣を歩く鉄子の足元がふらついていることに気付いて立ち止まる。
「おい、大丈夫か……」
 暗がりの中良く見ると、首筋にくっきりと手の後が付いている。ホラー映画かよ。
 首の骨が折れそうだったというのはあながち誇張じゃないのかもしれない。鉄子は首を押さえたまま、ふらりと壁に肩を押し付けそのまま座り込んでしまった。
 ヒビでも入っていたら大変だぞ……。
 俺は思わずその場でしゃがみ込み、鉄子の首筋に手を伸ばす。だが鉄子の身体がビクンと跳ね、触れるだけでそんなに痛むのかと慌てて手を引っ込める。
「だ、大丈夫だから……あたしのことは構わず先に行け」
 鉄子は視線を忙しなく動かしながら、頬を朱色に染めた。
「それが言いたいだけちゃうんかと。つか死亡フラグだぞそれ……」
「良いから行け……」
 俺の突っ込みに辛そうにしながら、今度は顔を青して俯く鉄子。
 赤くなったり青くなったり忙しい奴だな。
 仕方なく俺は鉄子に向かって静かに頷き、三階への階段を駆け上がった。さらば鉄子、お前の死は無駄にしないぜ。

 空気に流されたが、一人で行動して一番危険なのは俺じゃないのか。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ラスボス◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 雨は降り続いている。三階の窓からは街の明かりが見えたが、今はそれがとても遠く感じる。あの明かりの中に俺の住むボロアパートもあるはずだ。
 帰ろう。
 色々なことで鋭敏になったのか麻痺したのかすら分からない思考にふと浮かぶ言葉。
 帰ろう。
 断っておくが一人でじゃない。五十嵐を連れてだ。
 俺はとうとうと言うか、ようやくと言うか――腰のベルトからリボルバーを抜くと、両手でしっかりと構えた。所々窓ガラスが破られ雨水の吹き込む廊下を真っ直ぐ進む。突き当たりのドアが空いていた。そこに居るんだろう?
 左右に視線を動かし警戒しているつもりでも、俺は実際のところ前しか見えていなかった。
 ゴーストが語りかけるのだ、前に進めと。
 奥の部屋へと真っ直ぐに入っていく、正面に良が居た。
「あ? 誰だテメェは……」
 いや、勘違いだ。容姿は似ているがオールバックには白髪が混じり、声に渋みのある年齢不詳の男。腰には日本刀が吊るされ、手は無造作に下げられているが隙が無い。
 遠い――。
 男を観察しながら俺は考える。距離は五十メートルも無いが、それでも当たるのかどうか不安だった。撃てるか撃てないかはもう問題じゃない。
 男の隣、椅子に腰掛け縛られている五十嵐の姿を見た瞬間。俺は引き金に力を込めていた。腹の底から沸き上がる感情に、呻く様に息を吐き出す。
「おめェ、ウチの者じゃねェな」
 喋り方まで良に似ている男、恐らくこいつが片桐とか言う五十嵐組の裏切り者だろう。
 俺は引き金を搾る指を緩めながら、ゆっくりと男に近付いていく。片桐が制止しようとするタイミングを見計らって言う。
「俺は……」
 声は震えていなかった。顔を上げた五十嵐と目があう。傷も無く服装にも乱れは無い。口元には白い布が巻きつけられ、声も上げられずに俺を見ていた。目尻に微かな涙の跡。
――この野郎。
「俺は――ユキの友達だ」




 五十嵐は二人居るから、俺は名前を呼ぶ。
「…………」
 良よりも数倍鋭い視線に射抜かれる、足が止まりそうになるのを堪えもう一歩。二歩。近付く。
 気付くと身体中に汗をかいていた。これが本職のプレッシャーなのか。
 銃を構えているのは俺なのに、そんなことは微塵も気にせず男は俺を黙って睨みつける。
 ふと、男が視線を逸らして五十嵐を見た。五十嵐も視線を動かし、不安そうな目で男を見る。
――違和感。
「こっちに来い……ユキ」
 俺は構わず五十嵐に呼びかける。
 だが、五十嵐は首を振った。
――違和感。
 男との距離は十メートルも無い。この距離なら外さない筈だ、多分。
 だが、五十嵐に当たったらどうする。
「ユキ……一緒に帰ろう」
 俺は辛抱強く怯えているユキに呼びかける。銃口は男の顔へ突きつけたまま動かさない。
 五十嵐が縛られているのは口と、手だけだ。逃げられないと思い必要最低限しか縛っていないのだろう。
――本当にそうか?
 黙って俺を見ていた男が口を開く。
「本当に撃てンのか、アンタ。お嬢のために人を殺せンのか? おい」
 俺はいつの間にか止まっていた足を動かし男との距離を詰めていく。言葉の代わりに見せてやるよ、俺がどう思っているのか。それを教えてやる。
「殺すとか殺さないとか、そんな話どうでも良いんだよ。俺はただ、ユキを助けたいだけだ」
 俺は五十嵐を見ず、ただ男を見据えて引き金に力を込めた。
 乾いた音と同時――

 五十嵐が俺の身体を突き飛ばした。


 
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