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番外編1「バカは風邪をひかない」


 アホの澤井が学校を休んだ。
 その知らせを受けたときの衝撃を、どう表現したらいいのだろうか。
 超スピードとか催眠術とか、そんなチャチなもんじゃねぇ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったと言えば分かるだろうか。それとも単に、俺の頭がおかしくなったと思うだろうか。
 止まれ。
 俺は今日配られたプリントを何も入っていない鞄に入れ、澤井の家に見舞いに来ていた。
 もうすぐ夏だというのに梅雨の気配は無く、心地よい日差しが辺りを照らしている。
――相変わらず、でけぇ家だな。
 見舞いに買ったプリンが場違いに感じる。
 鉄筋コンクリートの三階建て。色はアホっぽいクリーム色をしているが、無骨な外観と相まってなんともアンバランスだった。
 同じくアホ色のチャイムを押す。
――お母さんとか出てきたらどうしよう。
 俺は妙に落ち着かない気持ちをなだめるように、澤井家をじっくりと観察した。
 一分ほど経っただろうか。
 取り立てて面白い発見は無く、チャイムの反応も無かった。
「ふむ……」
 入っちまうか。
 俺は鉄製の門扉を開け、敷地内に不法侵入した。
 外からは見えなかった、手入れの行き届いた小さな庭が目に入る。
 いいとこ住んでるな、アホのくせに。
「澤井さーん」
 コンコンコンコン。
 玄関をノックするも、反応無し。
 めんどくせぇ……。
 俺は一旦門扉まで戻り、郵便ポストの中を確認する。
 数通のダイレクトメールに混じって、硬い金属の感触が手に触れた。
 鍵だ。
 俺はそれをちょっと拝借して、玄関のロックを解除。元の位置に戻しておく。
「お邪魔しまーす」
 玄関をくぐり、内側から鍵をかける。
 家の中は暗く、侵入者を拒むようなねっとりとした感触の静寂に包まれていた。どこか懐かしい匂いがするのは、長い付き合いだからだろうか。
――死んでんじゃねぇだろうな……。
「……お邪魔しますよー?」
 廊下の奥で待ち構える闇、そこから沸いてくる不安に対抗するように、俺は小声で言う。
 昔の記憶を頼りに、玄関入ってすぐの階段を上り二階の澤井の部屋を目指す。
 明かりは点けなかった。
 何故か忍び足になりながら、部屋に到達する俺。
 ルームプレートを確認する。
『ゆかりのへや』
 小学校の時から変わらない、ミミズのような文字に安心した。
 コンコンコン。
 扉をノックし、声を掛ける。
「澤井ー?」
「……ニッキー?」
 弱々しい返事に、一瞬誰だか分からなかった。何時もギャーギャー喚いているから、ちょっと声を抑えるだけで別人のように聞こえる。
 本当に具合が悪そうだ。
「入って良いか?」
「どうぞーい……」
 謎の返事を無視して冷たいドアノブを引き、薄暗い室内に入る。
 部屋は最後に俺が見た時よりも、随分と狭く感じた。それでも俺のボロアパートよりは全然広いが。
 俺がデカくなったからそう感じるのかね。
 相変わらずぬいぐるみだらけの部屋は陽だまりのような、あるいは干したばかりの布団のような匂いがした。アレって良い匂いだけど、ダニの死臭らしい。そう考えるとちょっと嫌だよな。
 どうでもいいけど。
 あまりの懐かしさに思考が変な方向に飛んでいくのを抑えて、俺はベッドに横になっている澤井を見た。頭に湿布のような熱さましのシートを貼っているところが、アホっぽい。
「悪い、寝てたか?」
「ううん、大丈夫。おきてた」
「プリンとプリント」
「え?」
「プリンと、プリント持ってきた」
「う? うー……ありがとう……」
 俺の高度なギャグに混乱する澤井。
 鞄から下らない業務連絡のプリントを出して、学習机の上に置いてやる。
「プリン食うか?」
「うん……」
 やっぱりおかしい、反応が悪すぎる。
 よっぽど具合悪いのだろうか。
 学習机の椅子をベッドの横まで移動させて腰掛ける。低いな。
「高いヤツだぜ」
「いくら」
「二百十円」
「わーい」
 コンビニ袋から若干サイズの小さいプリンとプラスチックのスプーンを取り出す。
「じゃーん。プリップリン」
「なにそれ」
 しょうもないネーミングに笑う澤井。
「よいしょ……」
「寝てろよ」
 起きようとする澤井の顔面を抑える。
「むぐぅ」
 三十度くらい身体を起こした状態から、後頭部を落下させる澤井。
「じゃあ食べさせて」
「おう」
 プリンの蓋を開けて、一口スプーンにすくってやる。
「ほら、口開けろ」
「あーん……」
 プリンを乗せたスプーンは緩やかな弧を描いて俺の口の中に着地する。
 うん。甘い。
「何でニッキーが食べるのさ! けほっ……」
 叫び、咳き込む澤井。
 調子が狂う。
「すまん……」
 もう一口スプーンですくって、澤井の口元まで持っていく。
「……間接キッス?」
「嬉しいか?」
「…………」



 中々口を開けない澤井にちょっと凹む。そんなに嫌か。
「……あれ、他のスプーン、持ってくるか?」
 澤井は数秒口を固く閉じていたが、やがて開けた。
「……おいしい」
「ああ、これ結構美味いなぁ」
 俺ももう一口食べる。
「……たべるなよぉ」
「そんなに嫌がるなよ、凹む」
「別に嫌がってはいないけど……」
 睨むようにして言ってくる澤井。
 俺は黙って澤井の口にプリンを運び、澤井は黙ってそれを食べた。
 完食。
「頭の取って」
「……」
 自分でやれと言いたかったが、仕方なく頭の湿布もどきを取ってやる。
――うわ、生ぬるいなコレ。気持ちわるっ。
 澤井の額に手を当ててやる。
「ニッキーの手、冷たくて気持ちいいかも……」
「そうかよ。結構熱出てるけど、薬飲んでるのか?」
「今日のニッキーは優しいね」
「いつも優しいだろ?」
 笑う澤井。
「そうかもね」
 俺の手の上に澤井の手が重ねられる。
「手も熱いな」
「うん……もうちょっと、こうしてて」
 目を閉じる澤井。

 やがて、澤井はそのまま眠ってしまい、俺は静かに部屋を出た。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇翌日、そこには元気に走り回るアホの姿が!◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「もう風邪なんてこりごりだよ」
「おはよう澤井。元気そうで安心したぞ」
「おはよう田中っち! ニッキーは?」

「ああ、何でも風邪をひいたそうだ」

「あはは、バカは風邪ひかないって嘘だよね!」
「はっはっは、かもしれんなぁ」

 
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